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陸前高田

 震災にあった陸前高田で、亡くなった先輩の一周忌にあたる葬儀

があり、医局の同期生達と28年ぶりに高田に行った。

 以前のブログにも書いたが、この震災で私は二人の先輩を失った。

医局から派遣されていた出張先の歯科医院の院長と、そこに私と

 交代で出張していた先輩である。

前日に水沢の同期生の自宅に泊めてもらい、次の日に同期生3人と

 同乗して車で高田に向かった。水沢は暖かかったが、高

田に行く為には山脈を越えて行かねばならない。さすがに途中の峠

 や山には、まだ雪が多く残っていて、雪解け水が行く先々の峠道

を濡らしている。

 1時間ほど走ると、峠も終わり平地に出たので高田も近い。

やがて道路に沿う様に川の流れが近づいて来る。

 5~6月ごろになると鮎釣りが解禁され、その川にも釣り糸を

垂れる多くの釣り人達がいるのを、車を運転しながら

 よく見かけたものだった。

 川に沿ってしばらく走ると、突然目の前が開けて来た。

彼方の方に靄がかかっている以外は、全く何もない台地である。

 よく見ると所々に建物が見える。

見る事の出来る建物に共通するのは、四隅の柱と天井や屋上以外は

 何も無い事だ。建物の向こう側がはっきりと見えるのである。

柱と天井だけの異様な形の建物だけが、あちこちに点在している。

 地面には流された建物の土台のコンクリートと、その周りを埋め

る土砂だけが残り、その光景が海岸の方まで延々と続いている。

 海岸から5~6㎞まで津波が押し寄せたらしい。

道路が何処に走っているのか判らない。道路と周りの地面との段差

 が無くなっているので、かなり近づくまで何処が曲がり角なのか

交差点なのか、全く判らないのである。

 高田の街の面影など、まるで残っていなかった。

これから何年たてば、街が元に戻るのだろうか?

 いや、海岸の防波堤が無くなった今、街が再建出来るかさえ

見当もつかない。

  友人がやっと道を探して、会場である高台のお寺に向かった。

幸いにお寺は山の中腹にあった為、被災を免れたのである。

 寺の駐車場に入りきらない車が、あちこちに置かれている。

我々もやっと隙間を見つけて、車をとめた。

 本堂に入ると、もうかなりの人が集まっている。

ようやく端の方に座れて、式が始まった。

 総勢200人にもなろうか?1年後の法要としては異例の多さ

かもしれない。それだけ故人の徳が偲ばれる。

 皆に慕われていた故人の突然の死に、悲しみを堪え切れない人

も多かった。

 弔辞が次々に読み上げられ、故人の所属していた運動部の部歌

もOBたちによって、歌われた。

 最後に、残された五人姉妹の三女が、亡き父へのお別れの挨拶

をした。

 「お父さん、こんなにたくさんの人が集まってくれて

良かったね!」と、涙ながらに語り始める。

 途切れ途切れに語る、彼女の一つ一つの言葉が心に響く。

幼くして両親が離別し、今また最愛の父を失ってしまった。

 最後の「お父さんに私の結婚式を見てもらいたかったよ!」

という彼女の万感の思いを聞いて、溢れる涙を堪える事は

 誰にも出来なかった。

 式の後、亡くなった院長と、先輩の墓にお参りをしてから

我々は高田を後にした。
by tramasato | 2012-03-20 23:06


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