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泣くな別所、センバツの花だ!

  私は、学生時代、準硬式野球のピッチャーをやっていた事があります。その時よく読んで

 いた本が「ピッチング教室」という、往年の読売ジャイアンツの名投手である別所毅彦さんが

 書かれた本でした。久しぶりでその本を見つけたので、別所さんについて調べてみました。

   そこで「泣くな別所、センバツの花だ!」という言葉のいわれを知りました。

  1941年、春の選抜甲子園大会に出場した別所さんの滝川中学は、打の青田昇、投の

 別所毅彦を擁して優勝候補の筆頭でした。準々決勝の岐阜商業戦で9回表、一塁ランナー

 だった別所さんは、次打者 青田昇が三塁ゴロを打ったときにサードが一塁へ悪送球するの

 を見て全力疾走し、三塁を蹴ってホームへスライディングしました。クロスプレーとなり、その

 際、左肘を骨折してしまいました。普通の人ならすぐ手当をして退場するところでしょうが、

 なんと別所さんは三角巾で左腕を吊って、9回裏から12回裏までの4イニングを投げぬいた

 そうです。12回にとうとう痛みに耐え切れなくなりマウンドを降りたそうですが、その投球に

 対する執念は、とても普通の人の真似出来るものではありません。どこかの「中5日でなけ

 れば、投げられない!」なんて言っているプロに聞かせてやりたい様なエピソードです。

   何故、別所さんがこの試合で投げる事にこれほどの執着を持っていたのか?

  実は、甲子園大会はこの1941年を最後に中断され、日本は第二次世界大戦に突入して

  行きました。

   「戦争になれば、いつ軍隊に召集されるか判らず、召集されればいつ死ぬかも判らない。

  だったら、今しか野球をする機会はなくなってしまう。死ぬ前に俺に出来る事は野球しか

  ないんだ!今、自分に出来る事を死に物狂いでやろう!」

     という、別所さんの一途な気持ちが、腕が折れても苦痛に耐えて投げぬいたーという

   行動に出たのだそうです。

    自分のやるべき事をやり抜くというのは、なかなか出来ないことですが、わたしも

  この別所さんを手本にしたいと思います。

   
by tramasato | 2007-10-27 15:16


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