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  インフルエンザワクチンは必要か?

       今朝の朝刊に、新型インフルエンザワクチンを接種した看護師が

     新型インフルエンザに罹患し解熱剤としてタミフルを服用したが、結局インフルエンザ脳症

     の為に亡くなったーーという悲惨な記事が出ていた。

       はたしてワクチンは必要であろうか?

     ワクチンを接種したからといって、絶対にインフルエンザに罹患しないわけではない。

     いくら接種してもその病気にかかってしまう人はいる。

      私の診療室のスタッフも、2年続けてワクチンを接種したにもかかわらず2年続けて

     インフルエンザにかかった。

      このスタッフの場合、ワクチン接種は何の意味もなかった事になる。

      先日、次女が風邪をひき39度という高熱が出たため、医師会の救急診療所に連れて

      行った。

        待ち時間の間に医師会から発行されているポスターを見ていた。

      新型インフルエンザも、適当な療養をすれば必ず自然治癒するーーと書かれていた。

      適当な療養とは、一般的な風邪の対処法である。

        例えば、十分な栄養、睡眠を摂り、熱があれば冷やせば良いーーという事だ。

      言われてみれば、至極当然である。

       人間はもともと病気に対して自然治癒能力を持っているのだ。

      しかも、新型インフルエンザに罹ってインフルエンザ脳症で死亡した人は

      必ずタミフルを服用しているという。

       タミフルは脳に対する副作用が強い薬の様だが、脳症との深い関わりが疑われて

      いるのかもしれない。

       何かと言うと、薬に頼り過ぎているのではないか?

       ワクチンもタミフルも、当てにはならない。

         人間の自然治癒能力の方が、はるかに頼りになるのではないだろうか?
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by tramasato | 2009-11-26 15:05

     教える、教わる

            教える、教わるというのはどちらも難しい。

       モーニングセミナーのテキスト 「職場の教養」の中に取り上げられていたので、

      少し考えてみた。

       教えるという事は、その相手に対してかなりの実力差がないとできない。

      知識や経験の差が歴然としていないと、難しい。

      これは誰が考えても当たり前だと思うだろう。

       ところが、世の中に他人に教えたがる人というのは大勢いるが、その殆どが

      知識も経験も充分でないーーという事の方が多い。

       例えば、ゴルフ練習場で練習している人の95パーセントはヘタクソであるが、

      みんな初心者や自分より経験の浅い者には教えたがる。

       技術レベルで言えば、100人のゴルファーのうち5人しか他人に教えられるレベルでは

      ない。その5人のうち、教え上手と思える人は一人もいるだろうか?

       たぶん答えはNOだろう。

       だからゴルフ練習場では教わらない方がいいだろう。

       ゴルフだけではない。

        あらゆる仕事や学問にもそれは当てはまる。

        以前にも書いたが、ある講習会で私はコーチングというものを勉強した。

        その講習会の講師は 「コーチングを歯科臨床に取り入れよう!」という事で

        講習会を主催していて、その考えは私は基本的には可能性はあると思っていた。

        しかし、彼はプロコーチの資格を持っていなかった。

       当然、金を取って他人にコーチングをした経験もない。

        コーチングの技術も人に教えられるほどではなかった。

        彼のコーチングしている場面を見たからである。

        コーチングそのものが、コーチを受けた人間が行動を起こして結果を出さなければ

        そのコーチングが成功したとは言えないから、曖昧ではあるのだがーー。

         彼は自分の講習会に参加した人を全てー「自分の教え子」であるーと言っていた。

         はたしてそう呼べる資格が、彼にはあるだろうか?

          もし教え子と呼ばれるなら、教え子にも師を選ぶ権利があるのではないか?

         わたしは、そう思った。

        自分の師と仰ぐなら、充分に考えた上で選ばなければならない。

         それは自分の人生を左右するかもしれないから。

        だから、教えるのも教わるのも難しいのである。
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by tramasato | 2009-11-19 15:58

96歳の大往生

           昨日、森繁久弥氏が96歳で亡くなった。

      病気で入院もせず、老衰で亡くなったと聞いて感銘を受けた。

      病気で動けなくなり、長年介護を受けてから亡くなる人が一般的になっている時代に

      立派な死に方だと言える。

       出来れば私も、森繁氏の様な死に方をしたいと思う。

       大きな病気もせずに、長生きするという事はそれなりの摂生が必要であり

      彼の役者としてのプロ魂が、その生き方に表れていいるような気がする。

       森繁氏の俳優としての名声は、世に広く知られているところだが、

      その中で私は、東宝のいわゆる「社長シリーズ」が好きで、小さい頃家族でよく見に

      行ったものだった。

       森繁氏のユーモアたっぷりの演技が、シリーズを家族全員が楽しめる映画にして

      いた。

       もちろん、加藤大介、小林桂樹などの名わき役たちの活躍も見逃せない。

       森繁社長と社員たちの掛け合いが、作品の面白さを倍加していた。

       NHKの「日曜名作座」などでは、シリアスな演技も数多かったが、

       どちらかというと、私は森繁氏のユーモラスな演技の方が印象深い。

        96歳まで大病もしなかった事を考えれば、節制を怠らないストイックな人生を

       送ってきたのだろうか?

         聞くところによると、共演した女優のお尻を何気なく触る名人だったそうで、

        触られた女優もあまり怒ったりはしなかったようである。

         普通の男だったら、触られた女が目をつり上げて怒りそうだが

         彼はあまり咎められなかったらしい。

         そういうところが、彼の人徳なのかもしれない。

          彼は人生を大いに楽しんでいたんだろう。

            「尻ぐらい触ったっていいじゃないの?」という風にーー。

      

       

    
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by tramasato | 2009-11-12 12:04

   客観的判断と主観的判断

            客観的判断と主観的判断を一致させる事は難しい。

       何を言いたいのかと言うと、通常我々が臨床で患者の状態を診断する時には、

       検査上の数値や身体や口腔内に現れる所見によって判断する。

        それを根拠にして患者に病状を伝え、それらに対する処置や対策を伝える。

       あれこれと数値や臨床所見を患者に説明し、それからどういう方法を取るかを説明する

       わけである。

       ところが患者自身は、あれこれ数値や所見を並べられても全く意味がわからない。

       せいぜい、「そう言われれば、そうなのかな?」という程度しか理解出来ない。

       彼らは自分自身の主観でしか判断できないからだ。

         判るのは痛みの程度や、熱や腫れ具合といった事柄である。

        当然、何故そうなったかーー等ということは想像もつかないかもしれない。

       これは自分が、他人からどのように見られているかが自分では判らないのと同様で

       ある。

         患者さんと話していて、いつも悩むのはその事なのだ。

       例えば 「あなたの歯周ポケットは、5ミリありますから中程度の歯周病ですよ!」

        と言われても

        まず、「歯周ポケットって何だ?」から始まり、「5ミリあったら、どうしてダメなんだ?」

         とか「中程度って、どの程度悪いんだ?」--と延々と疑問だらけになってしまう。

         自分の病状について理解するなんて、とてもおぼつか無い。

            患者さんの主観に訴えるにはどうしたらいいのか名案がない。

          開業して以来、ずうっとその事で悩んできた。

          いろいろな講習会にも出てみたが、ヒントにはなっても絶対の解決策は

          見つからない。

           自分自身を客観的に評価するなんて、自分では出来ないか?

          それが出来たら、人間 間違いなんかするわけがないものなあ!

      
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by tramasato | 2009-11-05 14:43