バンド、いよいよデビュー

 6月17日、とうとうバンドのデビューの日となった。

私はリードボーカルという立場なので、挨拶を担当する事になり

 週の初めから何を話すか いろいろ考えていたのだが、「あま

り長い挨拶はいらない。」というメンバー達の意見で、簡単に

 話す事にした。どうも昔のスピーチ癖が治ってないらしい。

3時30分から練習を始め、1時間ほどしてから公演の準備を

 始める。いつもの喫茶店からドラムやギター、アンプなどの

器材を車と徒歩で、歩いて5分ぐらいの会場のダンスホールへ

 運ぶ。楽器のセッティングや音の調整で1時間以上かかった。

6時30分にメンバー全員が揃い、準備完了。

 普段はいない観客を目の前にした緊張感もあるので、メンバー

の一人が気を利かせて、「じゃあ、練習しよう!」と声をかけて

 1回目の演奏が始まった。

「想い出の渚」、「長い髪の少女」、「スタンド・バイ・ミー」

 最後に「ルイジアンナ」の予定どうりの順に演奏され、歌う。

マイクを持つ右手が、心なしか震えている。やっぱり緊張して

 いるのか?声もあまり出ていないかな?

皆で歌うコーラス部分は、まずまずの出来。

 それよりも一曲終わる度に、応援に来てくれた友人達が

声援を送ってくれるのが、とても痛快!たいした演奏でも歌でも

 ない筈なのに、大声で声援してもらえる。これがライブの醍醐

味なのか?一度始めると止められなくなるーーというのは本当

 かな?

一回目の練習が終わり、休憩。割れんばかりの拍手で迎えられ

 る。友人達が口々に褒めてくれる。だが自分ではそれほど良く

はないーーと思っているので、口では「有難う。」というものの

 照れくさい。

1時間ほど休んで、いよいよ本番。順番どうりに曲が進む。

 練習の時よりは、少しリラックスして声も出てきている。

ところが、3曲目の「スタンド・バイ・ミー」の終盤になって

 痛恨のミス。突然歌詞を忘れてしまったのだ!全く歌詞が出て

来ない!「どうしよう?」とパニックになって何も歌わない時間

 が過ぎる。

だがバンドの演奏は続いているので、途中から誤魔化して歌い

 始め、なんとか最後まで行った。

3回目は、ようやくマイクを持つ手も震えなくなり、リラックス

 して演奏し、歌える様になる。

声もよく出る様になり、まずまずの出来。演奏も良くなる。

 しかし、またまた間奏を入れずに歌ってしまうミス。

ここでも皆がうまく合わせてくれて、なんとか演奏を終える。

 最後に「スタンド・バイ・ミー」をアンコールに応えて

歌って演奏し、全て終了。
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# by tramasato | 2012-06-19 16:39

初公演

 いよいよバンドの初公演の日にちが迫ってきた。

バンドでの公演など、経験が無いのでいろいろ準備に追われてい

 る。衣装が肝心らしく、メンバーは「ド派手に行こう!」と

張り切っている。

 私はリードボーカルという立場もあり、特別に目立たなければ

ならないらしい。やれ「サングラスをかけろ!」やれ「ベレー帽

 を被れ!」だの、周りからの注文がうるさい。

ジーンズは嫌いなのでコッパンにして、スニーカーも用意する。

 もともとあまり目立ちたくない性格なので、気分は乗らないが

バンドはチームワークが肝心だから、皆の意見に従う事にした。

 昨年の秋から練習を始めて約半年、ようやく演奏やコーラスが

形になって来た。

 最初は2~3カ月でデビューしたいと、あせるメンバーの意見

もあったが、人前で公演するには、それなりの技量が必要だ。

 たぶん、「最低でも6カ月は必要だろう。」と思っていたが、

そのとうりになった。

 メンバーも目標が決まって、ようやく練習に集中出来る様に

なってきた。最初からそれだけ集中してくれたら、こちらも

 やる気が起こるというものだがーー。

初めての公演なので、たぶん緊張して良い結果は出ないと

 思うが、それが今の実力だと心しておこう!

結果が楽しみだ。
 
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# by tramasato | 2012-06-11 14:30

歳の功

先日、あるインプラントの講習会に出席した。インプラントをこれから

始めようーーという初心者向けのコースなのだが、同業の友人の勧

 めもあり、最近の術式の変化や器具の進歩を知りたくて参加する

事にした。友人の「歯科医は一生勉強だから!」という言葉にも、強

 く押された事もある。「人間は一生勉強である!」という言葉は、

以前 自分が座右の銘としていた格言なので、今更友人から言わ

 れるとは思っていなかったが、知らないうちに自分自身がその

言葉を忘れてしまっていたのかもしれない。

 最近様々な講習会に参加する度に思うのは、「参加者が皆若い!」

という事である。講師も出席者も、講習を支えるスタッフも、全て

 私よりは若い。58歳にもなったから、当たり前のことなのだが

ーーーー。

 私の白髪交じりの髪や、顔のしわを見て必ず敬語で話しかけて

来る。以前80歳ぐらいのおばあさんに「このオジサン」と

 呼ばれる間違いが一度あったが、押し並べて丁寧な話し方を

される。

 この講習会は、会場が交通の便の悪い所でのオペ見学だったの

で、講習会のスタッフに、帰りに最寄りの駅まで送ってもらえな

 いかと頼んでいたのだが、車が足りなくて急きょ講師の先生が

送ってくれる事になった。恐縮しながら二人の講師の先生と同乗

 させてもらい、札幌駅で降ろしてもらった。

 次の日、講習の休み時間に「昨日は、有難うございました。」

と運転していた先生にお礼を言うと、彼は最敬礼の姿勢で「いえ、

 とんでもありません。」と言うのだ。

恐らく40歳前後の人なのであろうが、これではどちらが講師

 なのか判らない。立場が逆転している。

歳をとって、周りが自分を見る目も全く変わってきているのを

 痛感した。

かと言って、それに甘えるのもおかしな話であるし、若い人に

 混じって勉強するのを恥じていては、「人間は一生勉強である

。」の格言に反することになる。

 「歳をとったら、若い時以上に努力しなければならない!」

という、誰かの言葉を思い出した。
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# by tramasato | 2012-05-28 15:32

中耳炎

10日ほど前から耳鳴りがして、右の耳の聞こえが悪くなっってい

 た。自分の声が、割れて聞こえる様な気がする。

耳が聞こえ難くなると身体の感覚も鈍くなり、思考もはっきりしな

 い様な感じがしてくる。気になって耳鼻科を受診した。

聴力検査をしてもらうと、右耳が低音を聴き取り難くなっている。

 痛みはない。ファイバースコープで耳道の内面を覗くと

炎症のある部分が確認できた。ドクターの診断は「中耳炎」。

 それも「ヘルペス・ウイルス」によるものではないか?ーー

   という。

 中耳炎は大人でもよくあるそうで、普通は痛みを伴うので判り

易いが、私の場合は痛みが無く、耳鳴りが主症状なので判り難いー

 という事だった。

鼻水がしばらく止まらなくて、何度も強く鼻をかんでいたのも影響

 したのかもしれない。鼻水の原因はアレルギーらしいが、花粉症

とは違うらしい。

 抗生剤やビタミン剤を投与してもらって、服用するうちに

日曜日の午後あたりから耳鳴りが無くなり、右耳が普通に聞こえる

 ようになった。

耳が聞こえないと歌を歌っていても、自分の声が正しく出ているの

 かよく判別できない。ちゃんと歌えているのか不安になる。

ボーカルを任せてもらっている人間としては、放っておけない。

 耳の聞こえが悪い内は、練習をする気にもなれなかったが、

聞こえが良くなって、やっと練習する気持ちになった。

 感覚が正常なうちは何とも思わないが、一旦それが失われると

ひどく動揺してしまう。

 耳鳴りにしても眩暈にしても、それは同じ事。

人間の感覚は、非常に精密なバランスのを保っているものなんだ

 --と思う。

 
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# by tramasato | 2012-05-21 15:08

こぶし

ことしはこぶしの花が、あまり咲いていない。例年なら桜が咲く直前に

 咲くのだが、桜は開花とほぼ同日に満開になるという珍記録を残

し、もう散り始めている。

 私の近所には農業高校の跡地があり、周囲に多くのこぶしや桜の

木が植えられている。毎年春になると最初にこぶしが咲き、ついで

 桜が咲く。こぶしの白と桜のピンクに彩られ、北海道の春の訪れ

を、ようやく知る事になる。

 今年は急激に上がった気温のせいで、桜はあっという間に満開に

なったが、こぶしの花が咲くのには気づかなかった。

 跡地の木は、桜よりもこぶしの方が圧倒的に多い。こぶしの木々

の列の中に、所々桜が咲いているーーという方がふさわしい。

 だからこぶしの花が跡地の周りを縁取る様に咲かないと、何とな

く春が来たーーという気にならないし、寂しささえ感じるものだ。

 むかし、「こぶしの花が咲かない年は、大凶作だ!」とか

「冷害だ?」とかいう良くない言い伝えがあった筈だが、詳しい

 内容は忘れてしまった。

巨大な竜巻など、異常気象による被害が広がっている。

 気象の変化に、木々の生育も微妙に影響されて来ている

のだろう。
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# by tramasato | 2012-05-16 13:44

意気に感ず

ダルビッシュが5勝目をあげた。それも降雨による2時間の中断を挟

 んで。なかなか出来ない事だ。

2時間も中断すれば、もう一度集中力を高めて行く事は容易ではない

 。身体も冷えてしまうから、もう一度ウォーミングアップから

やり直さなければならない。それを考えただけでも大変だ。

 さらにレンジャーズは前日ダブルヘッダーを行い、深夜にテキサス

に帰ってきた。皆、疲労困憊である。

 メジャーリーグは年間160試合をこなさなければならない。

しかも日本の様に引き分けは無い。必ず勝負がつくまで試合を続け

 るので、時には深夜に及ぶ事もある。日本より過酷なその環境で

勝ち続けるためには、選手一人一人が自分の責任を果たす事がより

 強く求められる。

投手のローテーションがしっかりしていなければ、勝ち続ける事は

 出来ない。ましてレンジャーズは、2年続きでワールドシリーズの

優勝を逃し、今年こそはーーとチーム全体に期するものがあるのだろ

 う。ダルビッシュもそれは肌に感じている。

また、チームメイトが疲れきっているのに自分だけ、中断だからと

 続けての登板を回避するわけにはいかないーーという気持ちも

あったのかもしれない。

 そういう数々の思いが、彼を続投志願という決断に進ませたの

だろう。

 対照的に、対戦相手の先発はウイルソンで、昨年まではレンジャ

ーズのエースだった投手である。彼は続投を回避した。

 1死満塁での降板だから、調子も悪かったのだろう。

そのまま続投すれば、負け投手になる可能性も高いし、2時間もの

 中断が入れば、集中力の継続が出来ないーーと言って降板する、

立派な理由になる。だから彼は降板を選んだ。

 球団を去った元エースが降雨中断を理由に続投を回避し、

新しく入団したばかりの新人が降雨中断をものともせず、続投した

 としたら、チームメイトはどう思うだろうか?

たとえダルビッシュが負けたとしても、意気に感じて続投した彼に

 絶大な信頼を寄せるだろう。

チームの主砲ハミルトンの「彼(ダルビッシュ)を誇りに思う。」

 という発言が、チームメイトみんなの言葉を代弁している。

ダルビッシュのより優れている所は「中断したのだから、少し調子

 が悪くてもしょうがない。出来るだけアウトを取ろう。」と

考えた事だろう。

 「チームメイトが疲れているから、俺一人で相手を抑え込んでや

ろう!」と力まなかった事である。

 このままの成績が続けば、恐らく彼は来年レンジャーズのエース

格になるだろう。


 
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# by tramasato | 2012-05-13 21:56

飲酒の強要

 またしても、飲酒の強要による事故が起こった。

小樽商大での新入生歓迎コンパで、4年生に飲酒を強要された新入

 生が数人急性アルコール中毒になり、一人が心肺停止状態になっ

ているという。どうしてこういう事が繰り返されるのだろうか?

 数年前にも北大で同様な事故があった筈である。

運動クラブや同好会における飲酒の強要は、明らかなイジメである。

 日本人は他の人種に比べてアルコールに弱い。

ウイスキーの水割りなんて、外国には殆ど無い。

 どの国でもストレートかロックで酒を飲むのが、当たり前。

酒の弱い上級生が、ほとんど酒を飲んだ事のない下級生に無理やり

 酒を飲ませて、苦しむのを楽しんでいる。

  陰湿なイジメそのものだ。

 弱い者ほど、人をいじめたがる。

酒の弱い日本人だから、酒が強い事を「男らしい事」と考えている

 人も多い。全くの勘違いだ。

酒が多く飲めるのは、単なる体質の問題である。

 その人間の心とは全く関係がない。

飲酒の習慣を何とか断ち切って行く方が、余程勇気が要るし

 自分の意志の強さを試される。抑えがたい誘惑を払い除けられる

勇気を持つ方が、男らしいのではないかーーと思う。

 若い人ほど、年齢の違い、上下の差を気にする傾向がある。

年齢が1歳でも上であれば、年下の者をどの様に扱っても良いーー

 などと考えている不心得な者も多い。

若くて人生の経験が少ないからだろう。

 たとえ下級生でも、一人前の人間として接するべきなのだが

そういう配慮が欠けている。

 もし自分が心肺停止となった学生の親だったら、どう考えるで

あろうか?

 何回も飲酒の強制による事故が発生しているのに、それに

対する反省が、学生にも大学側にも、全く見られない。
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# by tramasato | 2012-05-09 13:32

堕ちた偶像

ゴールデンウィークの夜、衛星放送を見ると偶然にも旧「タイガース」

 の面々が出演していた。タイガースといえば我々の中学校時代は大

変なアイドルで、それこそ「飛ぶ鳥を落とす勢い」だった。レコード

 は何百万枚も売れ、映画やテレビにも引っ切り無しに出演していた

。あまりにも頻繁に画面に出てくるので、「少し出過ぎじゃないか?

 」と中学生の私でさえ、思ったけれどーー。

久しぶりで沢田研二の顔も見たが、「太ったなあー?!」というのが

 実感。体重は80~90㎏ぐらいあるのか、メタボ体型の典型の様

だ。何曲かヒット曲を歌っていたが、声も出ていない。

 歌っている彼の表情も苦しそうで、ヒットしている頃だったら、

その表情も表現の一種として、ファンは見てくれたのだろうけれど、

 今は太って暑苦しいし、声も出なくて苦労している表情にしか見え

ないのである。

 どうしてあんな惨めな姿で、出て来なければならないのだろうか?

もちろん昔のファンの要望があるからなのだろうがーー。

 テレビに出るんだったら、もう少し身体の状態を整えて、ボイス・

トレーニングもしっかりやってから、出てきたらどうか?

 昔のアイドルでも、それぐらいの責任はあるのじゃないか?
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# by tramasato | 2012-05-06 19:41

季節感

  ことしは雪解けが遅かったので、最近ようやく葺きのとうが見られ

 る様になった。もうすっかり大きくなって、食べるには時期が過ぎて

  いるのであろうがーー。

 土の上にたくさん出て来ている葺きのとうを見ると、むかし父がよく

  庭に生えて来た物を採って、味噌汁に入れて好んで食べていたの

 を思いだす。私も食べてはみたが、ただ苦くて、「こんなもの、ど

  こが、うまいのか?」と思ったものだった。

 葺きのとうは、雪解け直後にしか食べられないので、そういう季節感

  を、父は大事にしていたのかもしれない。

 子供の頃は、秋にはどの家庭でも軒先に大根を干し、沢庵漬けを作

  り正月前には、菓子屋で餅をたくさん搗いてもらい、片栗粉をふ

 って保存しておく。

  みかんは箱で買って、しまっておく。---というのが当たり前の

 風習だった。みかんは箱の下の方にあるものは、潰れてカビが生え

  たりする。餅も長い間置いておけば、カビが生えるので、カビの部

 分を取って、油で揚げて食べたりした。--その油で揚げた餅を食

  べるのが、楽しみでもあった。

 そんな風習があったのも、餅やミカンは1年のうちのその時期しか

  食べられなかったからだ。その時期にしか食べられないから、

 たくさん買ってしまっておく。駄目になったら、なんとか工夫をして

  食べられるようにしていたのだろう。

 いまは、沢庵でもミカンでも餅でも、1年中食べられる。ミカンはハ

  ウス栽培で、餅や沢庵は保存料で、1年中たべられる様になった。

 いつでも好きな時に、食べられる様になったが、それだけ食べ物の

  有難さが薄れ、季節感が失われて来ている。

 これが良い事なのか、悪い事なのかは判断するのは難しい。

  ただ昔を懐かしんでいるだけなのだろうか?
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# by tramasato | 2012-04-26 13:52

「羆撃ち」を読んで

  「羆撃ち」という小説、というよりノンフィクションを読んだ。

 作者の久保俊治さんは、幼いころから日曜ハンターだった父に連れ

  られて、ウサギ、カモ、ライチョウなどの猟に行き、大学入学後

 は、日本で唯一の熊撃ちのプロハンターとして生きて来た人だ。

  20代の頃は、山中や原野で鹿や熊の猟をして、その皮、内臓、

 肉などを売って、生計を立てている。

  私も昔から「動物文学」と言われる分野が好きで、シートン、

 戸川幸雄などが書いた著作を何冊か読んだ。

  この二人は野生動物が主人公で、動物同志の世界や動物から

 見た人間ーーというテーマを主に書いている。

  久保さんは、動物を捉える、あるいは動物を倒す側から

 小説を書いている。

  そういう意味では、へミングウエイの「老人と海」と似た様な

 構想になっている。

  もちろん久保さんはこれが処女作なので、大家の作品と比べる

 べくもないのだが、二人の著作を読んでいると、獲物に対する

  畏敬、あるいは自然に対する畏敬とを共通に感じる。

 獲物を捉えるとき、山中に入りまずベースキャンプを設営する。

  そこを拠点として山中を歩きまわり、ベースキャンプから遠く

 離れた場合は、適当な場所でビバークする。

  鹿や熊などを狩猟する為には、彼らと同じ様に餌を探し、

 疲れたら休んで、同じ様に行動する事で彼らと同じ様な感覚を

  身に付ける。彼らと同様に感覚を研ぎ澄ますことが必要だー

 というのである。

  実際、夜テントの中で眠っている時に何かの気配を感じ、ふ

 と目が覚める。同行の狩猟犬もその気配を感じとっている。

  しばらくじっとしていると、やがて気配が消えて、翌朝テン

 トの周りを確認すると、夜間に熊が来てテントを観察していた

  痕跡があったという。

 それまでは獲物が目に見えないことが気になって、常に不安感

  を抱いていたのだが、鹿や熊と同様に感覚が研ぎ澄まされて

 相手の気配を感じ取るようになり、不安を感じなくなった。

  人間もここまで変われるものなのだろうか?

 昔話や物語の世界だけのものーーと思っていた気配、あるいは

  殺気というものが、現代の社会にもあるんだーーという事を

 改めて感じた。

  久保さんが山林を離れ人間社会に戻って来ると、その騒音の

 多さが厭になるーーという。

  それだけ我々は、人間社会の便利さによって、本来持ってい

 感覚を鈍くしてしまっているのだろう。

  





 
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# by tramasato | 2012-04-21 22:35